「富島松五郎の譚(はなし)である」。後に「無法松の一生」として映画化され、一躍有名になる「富島松五郎傳(でん)」の冒頭だ。自筆の原稿は、右上がりの小さな字で記される。
作者の岩下俊作(本名・八田秀吉)は一九〇六(明治三十九)年、小倉の生まれ。小倉工業学校(現・小倉工高)在学時には、友人の劉寒吉らと文芸同人誌を発行する文学青年だった。八幡製鐵所に勤務し始めてからも、主に詩を書き同人誌に発表していた。
三八(昭和十三)年、文学仲間の火野葦平が第六回芥川賞を受賞。これに刺激され、初の小説「富島松五郎傳」を執筆。三九(同十四)年、文芸誌「改造」に懸賞応募し佳作入選。同年、同人誌「第二期九州文学」に転載し、第十回の直木賞最終候補に。翌年、「オール読物」に改作発表し、第十一回の直木賞最終候補にもなった。
物語は明治から大正時代の小倉が舞台。暴れ者で「無法松」とあだ名される人力車引きの一生を描く。岩下の父は、人力車が発着や休憩をする立て場を経営しており、これを幼い頃から見ていた体験が基になった。
無法松が小倉祗園太鼓を勇壮に打ち鳴らす場面が特に知られている。ほかにも冒頭の剣術の師範との喧嘩(けんか)に始まり、運動会の徒競走への飛び入り、高校生同士の果し合いに助太刀(すけだち)と、読者を楽しませるエピソードに満ちている。
一方、吉岡未亡人とその息子に寄せる純粋な愛情も丁寧に描写。広く日本人に愛されるのは、エンターテインメント性もさることながら、無法松の無骨な優しさ、純心に共感を覚えるからであろう。
残念ながら長い間、絶版だった。映画は知っていても、原作を知らない人に是非読んでもらいたいと、北九州市立文学館発行の文庫本に収録した。
この作品を書く時に岩下の頭にあったのは、「シラノ・ド・ベルジュラック」であったらしい。最初に舞台化された際、文学座の岩田豊雄(獅子文六)が既に指摘している。フランスの劇作家ロスタンによる戯曲は、大きく醜い鼻にコンプレックスを抱く剣豪の純愛物語。岩下は映画化された「シラノ」を見て感激したことを、三男八田昴(たかし)氏が日記を基に、同人誌「周炎」三十六号で言及している。
(元学芸員・佐藤響子)
※2008.01.26「西日本新聞」北九州京築版に掲載